40年余り連れ添った妻。3人の子育てを終えて随分と逞しくなりましたが、今でもあの頃と同様にとっても素敵です。

書き込み

妻とは、私が60歳まで勤めていた川崎市内にある製薬メーカーで知合いました。私は浪人をしたり、親のすねをかじって大学院まで行ったりしていたので、その会社に就職したときには、既に26歳になっていました。

プロポーズをしたのは私から。今でも鮮明に覚えています。

彼女との実験の最終日はたまたま金曜日だったので、実験が終わって2人して実験室の後片付けをしている時に、思い切って食事に誘ってみました。ちょっと姑息で気が引ける感じはしましたが、私の事件を手伝ってくれたお礼ということで、先ずは話を切り出しました。

この時、少し体が汗ばむのと顔がやけに熱くなるのを感じました。新宿に食事に誘ってみました。彼女は笑顔で了解してくれました。

この後、例の課長のところに実験の終了とお礼を言いに行った時に、課長がいきなり「誘ったか? これは独り言だけど、彼女は中華が好きだ。」とちょっとにやつきながら教えてくれました。

その晩2人で食事をした新宿の中華料理店は既に店じまいしていて今はありませんが、その後にお茶をした、落ち着いた感じのする喫茶店は今でも新宿の片隅でお店を開いています。

彼女は遠距離通勤だったので、新宿で過ごせる時間はそれほど長くはありません。私はこの喫茶店でと決めていて、意を決して「付き合って下さい!」と私の月並みな言葉に、彼女も「最初から私もそのつもりでした。」と言ってくれました。

この後、特に2人の間で正式なプロポーズの言葉もなかったし、ご両親に膝を突き合わせて「お宅のお嬢様を是非私の・・・」と言うセレモニーもないまま、気が付くと結納の運びとなっていました。

あの新宿の喫茶店での一言が、お互い暗黙の了解の私から彼女へのプロポーズでした。

会社を辞めてからは一人でいる時間も増え、色々と考える時間も多くなりました。

40年余り連れ添った妻ですので、一緒にいる時にはそれはそれで当たり前なのですが、最近は妻が自分の傍にいない時間を過ごす機会が多くなり、そのような時には無償に妻と一緒になれてよかったと感じている今日この頃です。

空気のように常に自分の傍にいてくれて、当たり前の存在と思っていましたが、自分の心の中の満たされない部分を、ずっと満たしてくれていたのかもしれません。この年になって、ようやくそんなことが分かるようになりました。

ママさんへ 
           日ごろ言えない感謝の手紙

知っての通り、大変照れ屋なので、クリスマスに贈り物をしたり、誕生日にレストランでのサプライズを奉げたり、結婚記念日に花束のプレゼントなどはこれまでまったくしてこなかったのに、そんな私の傍に何時も寄り添っていてくれてありがとう。

言葉では言い尽せないほど感謝の気持ちでいっぱいです。結婚する前のママさんは、奥ゆかしく少し控え目のある清楚で可憐な感じで、当時社内でも人気が高く他部門にいた私の耳にも噂が聞こえて来るほどでした。

3人の子育てを終えて随分と逞しくなりましたが、今でもあの頃と同様にとっても素敵です。そして、あのころ以上に今の私にとっては掛買のない存在です。ママさんなしでの私の生活は考えることなどできません。

これからもずっと私と一緒に何時までも暮らして下さい。今も大好きです。

パパより


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xjapandaisuki 1年 0 コメント 532 アクセス 0

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